39歳で初めて就職してみて5年経った話し④
4日目更新できました。
人としてのレベルが少し上がった気がします。
しかし、オミクロン株の感染者が全国的に爆上がりで、福岡の天神は既に人もまばら。
何となく灯るあかりも暗いです。ある意味捗りますが、皆さんお気を付けて💦
※母ちゃん、最近帰り早いねー、言うとります
昨日は戦前までだいぶ脱線しましたが、
ビオフェルミン好きの腹痛少女が、正式に「潰瘍性大腸炎」と言う病名を貰ったのは6歳の時でした。
それまでは近所のクリニックで”痔”もしくは”甘え”という診断でした。
後半までこんなに人生に響くことになるとはな、
今となっては、訴えてやりたい…。
そんな気持ちもありますが、何にでも時効はあり、かつ、もう恐らく他界されているでしょう😅
まぁでも、分からなかったのもある意味仕方ないようです。
私が生まれた1978年(昭和53年)。
福岡で大きな渇水がありました。
母は大きなお腹で配給の水を何度も運んだらしいです。覚えておいでの方ももしやいらっしゃるかもしれませんね🙂
この病気については、1875年に英国にて報告がされたものの、日本で東京大学から報告されたのは1925年。
旧厚生省から「特定疾患」の指定がされたのは、1973年。
私が生まれるまでにほんの5年しかなかったのですから、町医者さんでは判断出来なかったのも無理はないかもしれないですね。
しかし、ヨーロッパと日本で100年も報告に時差があるとはなかなか愕然とします。
日本人に症例が少なかったという話ですが、
あんなに立っていられないほど痛かったのに、”痔”だの”甘え”だので放置され続けた身としてはちょとプンプン事例な上に、もうひたすら、それホントかよ😤な、気持ちであります。
下血いよいよ激しく、絵の具の付いた筆を洗ったかのような真っ赤な液体だけが、トイレにたまるようになりました。
1日3回、母が無理やり可愛いオニギリを口に押し込んでくる行為を、虐待のように感じていました。
ある師走の夕方、
6歳の私の声は全く出なくなりました。
長くなりましたので、今日はここまで。
昭和のお話ばかりなので、ちょうど昨日見せて貰った懐かしいものをヨイショ!!
皆さま、本日良い夢を*°